人は誰しも一つや二つ、いやもっと多くの後悔を抱いて生きていると思います。歳が若いから、後悔が無いということは程度の差こそあれ、後悔は経験するもの。人から見ると、何もそこまで、という後悔も自分自身には決定的な出来事だったりすることもあり得ます。そのような後悔も時間とともに解決(気持ちの折り合いですかね?)していき、別の方向へ気持ちが向かっていけることもあることです。願わくば、より多くの人にとって、そのような後悔も前向きに捉えていただき、顔を上げ、一歩を踏み出して、充実した・納得した人生を送っていただきたいものです。本気でそう願っています。誰にでも失敗はあります。むしろ、決定打になる前に多く躓いておいた方が長い人生においては得るものが多いです。様々な人との出会いや失敗からのリカバリーの経験がその人の人生をきっと実り多いものにしてくれると思うからです。

 前置きが長くなってすみません。今回の物語は伊兼源太郎氏の『事故調』です。

 主人公はとある町の市役所に勤める校務員で、その町の人工海岸で崩落事故が起こり、少年が事故に合ってしまいます。主人公はその事故の独自調査を市長から依頼されることから物語は始まります。

 伊兼源太郎氏の物語はこれまでも読んできましたが、本当に涙腺が崩壊し、久しぶりに列車の中で涙を落してしまいました。そこがこの物語の転換点でもあるのですが、この没入感はさすがでした。以前にも書いたことがあるのですが、それまで実用書しか読んでおらず、ほとんど小説を読んでこなかった私が小説を読む意味というか、意義というか、それはひとえにこの没入感とその没入後に訪れる映画をはるかに凌駕した映像体験です。映像という表現が合っているのかどうか。文字なんですよね、文字。こうしてブログを書くようになって改めて思うのが、イメージを文字に起こすときの不自由さです。単に私の表現力が稚拙だと言えばそれまでなのですが、文字に起こす際のこのもどかしさ、不自由さ。その感覚がずーっとある私にとって、文字によって成立する小説というジャンルでこれほどまでに没入感が得られるのは本当に衝撃的な経験でもありました。私が映画が好きなのも没入感があるからでそれは視覚・聴覚という感覚からすんなりと入っていけているなという感覚があるのですが、小説という文字を前提とした媒体はそうではないですよね。そもそも文字というツールを理解していないといけない。そして、文脈の理解も必要。でもそのさらに上があって、自分自身の経験なり、積み重ねとの共鳴が起こると自分がその物語へ入ってしまう。それって自分の中に作り上げていっている感覚ですので、映画とは全く異なる映像体験と言えます。と言いつつ、「映像」とは異なるような気も。

 伊兼源太郎氏の物語は特にその没入感が激しいです。それが私特有のものなのか、はたまた他の多くの方々にとっても同じような感覚を引き出しているのか。これだけ多くの物語を世に送り出されているということは当然、それだけ需要があるという事実の裏付けなのでしょうから、伊兼源太郎氏の物語にはそれ備わっているのだと推測できます。

 伊兼源太郎氏には本当に出来るだけ多く物語を書いていただきたい。

 巡り会えたことに感謝をしたいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

伊兼源太郎(2014)『事故調』.KADOKAWA

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2件のコメント

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