この度、徳島市が可燃物の名称を、「分別頑張ったんやけど、燃やすしかないごみ」に変更したという報道が先月、あらゆるメディアに出ていました。

「「燃やせるごみ」を「分別頑張ったんやけど、燃やすしかないごみ」に変更します」(2023.05.15 徳島市)はこちら

徳島弁を軽妙に使っているところもセンスが光るところですが、そもそも名称を変更しようということ自体を決断したセンスこそが最も光っているポイントではないかと睨んでいます。

普段何気なく使っている言葉でも視点を変えて、置き換わることで「?」となったり、「!」となったりすることはままあるものです。今回のこの名称を変更したという一見、シンプルな行為がこれだけの反響を生み、下手な広報をするよりもよほど浸透する度合いが高いでしょうし、域外からの情報の波によって域内の住民への浸透が加速していくという状況も生み出されていることでしょう。自治体と言えどもこのアプローチの破壊度をまざまざと見せられたわけです。

そうなると、他の自治体でも同様の動きを見せている自治体があるはずと思い、同じゴミの分別で調べてみますと、やはり、ありました!

「「燃やすごみ」から「燃やすしかないごみ」に変更 4月から分別方法も、京都・亀岡市」(2023.01.15 京都新聞)はこちら

さすが関西圏。シンプルですがストレートな表現が住民の違和感を生んだことでしょう。「しかない」って。「他の方法(分別)があるんじゃないですか? おたくのゴミ」と投げかけているようにも読み取れます。

調べてみますと、同じように亀岡市を取り上げた記事の中に異質な記事が。

「亀岡市のゴミ分別が話題、実は「ひらパー」が先取りしてた」(2023.01.22 Lmaga.jp)はこちら

とうとう「ひらパー」が出てきました。関西の面白い取り組みの道は「ひらパー」に通ずるなんでしょうね。そして、「ひらパー」が採用した「分別しまくりゴミ箱」はまた違ったアプローチの印象が。一緒にやろうぜ!感が満載でノリの良さを感じます。たかが分別、されど分別。このことに触発されて来園者に思考させることが目的なんでしょうね、きっと。うーん、奥が深いです。大学でもゴミの分別に差別化が図られると面白いかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。

カテゴリー: Life

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