今回の書籍は『金庫番の娘』です。

 金庫番にどのようなイメージをお持ちでしょうか。私は、ズバリ、「政治家の秘書」でして、この物語の主人公(藤木花織)もまさにその政治家の秘書。

 私は、伊兼氏の物語が好きな理由は、一見、脈略の無い点がどんどん線として繋がっていき、面となり、最後はあるひとつの像を作り上げていくことにあります。それも完結して終わるのではなく、余韻(私は個人的に「余白」と表現してますが)を残して、読者にも物語の続きを描けるようにしている点です。

 この物語についても、プロローグでは、政治家の秘書とは全く関係のない場面の描写が描かれており、途中までは彼女が前職を辞職するまでの単なる心情を描いているのかと勘違いしていたくらいでした。まぁ、単に私の理解力不足と言われるとそれまでですが。

 彼女ははっきりと政治が嫌いで端々にその姿勢が描写されています。その彼女が何故、政治家の秘書になろうと思ったのか。題名が「金庫番の娘」とありますので、彼女の父親(藤木功)は政治家の財務秘書ですが、父親は特段、彼女を誘うのでもなく、どちらかというと本人の意思を尊重し、見守ってきたという姿勢でした。寧ろ、父親が仕えている「久富隆一」の方が、彼女との距離感を近づけてきていたようでそのこと自体も彼女が政治の世界との距離を置く一つの要因となっていたようです。

父親と久富とは学生時代からの友人関係で、久富の息子(久富隆宏)と彼女は幼馴染という設定です。隆宏も前職を退職後、隆一の秘書をしており、彼女とは職場の同僚となり、この関係性も物語では重要な側面を成しています。

 なぜ、政治=お金というイメージがこれだけ定着しているのか。金庫番というイメージもこれだけ定着しているということは政治にはお金がかかるということでもあります。その根拠もかなり丁寧に描かれており、本音と建前がこれほど使い分けられている世界も珍しいのではないかと思った次第です。

 また、政治の中にいる人物の視点からだけでなく、別の視点=検察の視点からも描かれており、制定する側、運用する側の微妙な関係性、そして、検察庁内部の関係性(赤レンガ派と現場派)も描かれており、『検察のs』を読んでいる方であれば、またひとつ奥行きが増す作りにもなっています。

 それにしても、キャラクターの描き方がとても魅力的で、場面場面における心境の変化が分かりやすく、まるで映像作品を観ているかのようでした。伊兼氏の作品はそう言った物語が多いので、毎回楽しみです。映像化しやすいのではとも思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

伊兼源太郎(2019)『金庫番の娘』.講談社


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