少し空きましたが、本日のテーマは、特定分野に特異な才能のある児童生徒に係る有識者会議の配付資料についてです。

7月25日に開催されました会議の資料が公開されていますので、詳細につきましては資料をご確認ください。

「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議(第12回) 配付資料」(文部科学省)はこちら

これ、報道もされていましたね。

「飛び抜けた能力、なじめない学校 文科省「ギフテッド」の子を支援へ」(2022.08.07 朝日新聞DEGITAL)はこちら

定点観測してきた身としては、この報道の「ギフテッド」の文言に「?」と思ってしまいました。

松村委員の資料「「特異な才能」の考え方・用い方」では、「突出した才能、困難を併せもつ等、限定された用い方が既に広まっているため」、「“gifted”の訳語として「ギフテッド」は有識者会議では使用しない」とあり、審議まとめでは、「特異な才能」というワードに統一されています。おそらく、「ギフテッド」というワードが「突出した能力」というイメージに固定化されていることからこの審議の本来の目的である子供の才能を伸ばしていこうとすることから逆のベクトル(疎外感や妬みやいじめなど)に繋がるからでしょうね。

勿論、「特異」というワードにも突出したイメージがないことはないですが、耳慣れない新しいワードであり、特定のイメージがラベリングされていないということもこのワードにした理由があるのかもしれません。

以前の定点観測の記事でも考察しましたが、特異な才能を持つ生徒の才能を伸ばすには今のように個の教師の教育力に頼るのではなく、チームとしての取組みが欠かせないでしょう。どんな子どもにも大人が予想もしないような才能を持っています。これは本当にそうだと私は確信しています。あとは見極める大人側の体制の問題かと。それなのに一方で教師は忙しすぎる。教師不足がこれだけ頻発するとしわ寄せを喰うのは生徒の側です。国家百年の計ですから、教育には本当にお金をかけていただきたいと切に願います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。


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